二つの箱と「回る」ということ・・・そして・・・②

ある日のこと、私の目の前に大きな二つの箱があることに気が付いた。

ひとつには

『後で(あとで)』

と言うラベルが貼ってある。あるいは「時間のある時に」とか「落ち着いたら」とか

「時間ができたら」とか・・・そういう意味合いの言葉のラベルが貼ってある。

そしてもうひとつの箱には

『とりあえず』

と言うラベル。

どちらもかなり大きな箱だ。そしてナカミはどちらもそれぞれ結構な

深い問題をはらんでい…と思えた。

そのことに気が付いた私は・・・この二つの箱に一度真正面から

立ち向かって整理しなくては、本当の意味で私は前に進めないのでは・・・

と思うように至ったのだ。

『後で、あるいは 時間ができたら』の箱の中には済ませたいけれど

今は時間が無くてできないことがたくさん詰まっていた。内容は多紀に渡る。

生活空間のささやかな根詰まりのようなものから私自身の仕事に

かかわること。どれもこれも腰を据えてしなくてはできないようなことだ。

そう、それがとても些細な整理整頓の類いであっても・・・。とにかく

心を落ち着けて時間の余裕をもって取り組みたいことの数々。

そしてもうひとつの『とりあえず』の箱。

こちらの中身は深刻・・・のように思えた。

いつの頃からか・・・もうずいぶんと遠い日。まだまだ夢も希望も

満載の頃。・・・いや、夢とか希望とかと言う言葉がキラキラとした

何か特別なものでコーティングされていて、ある意味そのキラキラに心を託し、

ある意味その甘さにどこかで依存し、そこに何か特別な未来を感じていた頃。

と言ってしまうと、なんだか寂しい響きもあるけれど(笑)。

とにかく今よりも随分と若かりし頃…と言う意味です(笑)。

その頃から溜まり続けたものがその『とりあえず』の箱には

ぎっしりと詰まっているようだった。

家業が忙しすぎて、とにかく目の前で日々色々なことがおこり続けた。

加えて母の体調もあまり思わしくない状況が続いた。

思わしくない状況…と言うよりは、普段は元気でもいつ何が

起こるかわからないという状況。普通に生活をしているようで

病名だけは増えて行く。病院に付き添う日々も定期的に増える。

そのためにはいつでも私はスタンバイ状態でいなくてはならない。

故に・・・私は『とりあえず、今できることをやろう』という生き方を

選んだのだと思う。自分自身の本当に辿りつきたい場所はそれなりに

頭に描いている。けれども・・・そこへきちんと筋道立てて進むには

少々厄介な状況だ。目の前で起きていることに対処することが優先。

それならば、今何ができるか・・・家のことを最優先しながら

母のサポートをしながら、いつか辿りつきたい自分自身の居場所に行くために

「今、とりえあえずできること」をする。

こんな風に書くと何だかとても賢明なように見えるけど・・・実情は

そうとも限らない。『とりあえず』には拍車がかかる。箱の中を丁寧に見ると

不要なものも随分とあるし、横道に逸れてるという事実も否めない。

加えてその『とりあえず』というのは物質だけではなくて、思考だったり

行動だったり、考え方だったり・・・やれやれ・・・なんたること・・・。

とにかく・・・この二つの箱の存在に気が付いた私は、「よし!この二つの箱の

けりとやらを付けずして前には進めない!」と決心したのだ。

ところで・・・アイキャッチ画像。内容には関係の無いようにみえるでしょ?

実はちょっとした関係があります。

ある日私がこの『とりあえず』について友人に話をした時の事。

「なんかさぁ、気が付くと目の前に溢れんばかりの『とりあえず』の

山があることに気が付いたの。それってものだけじゃないのよ。

もうありとあらゆるものなの。これを整理しなくては前に進めないなって

思ってね」

と言うと、それを聴いていた友人はゲラゲラと笑い出した。

「あははは・・・わかる、わかる。それ私だってそうよ。もう『とりあえず』だらけ

なの。でもさ、人生なんてそんなもんじゃない。特にあの日集まった

フリーの連中なんてそうよ。そうやってみんな進んできたのよ」

と言葉が返ってきたのだ。

「あの日集まった連中」というのがアイキャッチ画像の日に集まった人達。

外資系のファッション業界を渡り歩いた友人が毎年夏の納涼会と称して

業界の仲間達に声かけて開催するささやかな親睦会。そこには同じく

外資系の業界に身を置く人や、今は独立して起業している人や・・・・

最初からフリーのスタイリストとして活躍する人や・・・・

前々からお声をかけてもらっていたけれどなかなか都合が合わず

昨年の夏やっと参加できた私。そう前々から友人は

『将来的に良い繋がりになるかもしれないから、とりあえず

参加してみたら・・・』と。

ふ~。私達はとりあえずを山のように繰り返しながらその中に

光るものを手繰り寄せ、見つけ出して進むのかもしれない。

でも、とにかく今の私は二つの箱を整理することから始める!のだ。

to be continued

 

二つの箱と「回る」ということ・・・そして・・・①

時は瞬く間に過ぎて行く。そして月日はみごとに重ねられて行き

大したこと・・・どころから、私自身の予定も計画もすべてをないがしろに

しながら、それでも季節だけは前に進む。

誰かが、どこかで呟いていた。

「どーして、こうも1日は短いのかしら・・・」と。

全くその通り。高齢者二人との暮らしと言うのは、とにかく時間を自分自身の

ものとしてコントロールできないということ。10分で済む予定が30分かかる。

1時間もみておけば大丈夫と思っていても2、3時間のこととなってしまう。

午前中に済む、午後には帰宅できるはずが、気が付けば1日仕事。

最初はそういうことに苛々もしたけれど、苛々したところでどうにかなるわけではない。

ストレスをためないことが大切。それに・・・私自身が本当に自分のために

動きたい時に動けるように、日常はできる限り二人に合わせることにしている。

目の前のことを優先することで、その時が来たらすんなりと

私事を優先させてもらえるように・・・と。

まぁ、性分と言うのもあるのでしょう。育ち方と言うもあるのでしょう。

けれども、そういう生活の仕方をしてきたおかげで、昨年は何とか

花のコンテストに出品することができた。もちろん作品制作にあたっては

残念ながら思い切り時間を使って私自身納得できるものを創れた・・・という

訳では到底なかったのだけど・・・。しかしそこのところは「できなかったことよりも

できたことを喜ぼう」とある時から決めている。つまり充分に作品制作に

時間を費やすことができなかったという事実よりも、何とか作品を完成させて

コンテストに参加できたということ。何とか4泊留守にできたということ・・・

そのことに感謝して喜ぶということだ。「ありがたい」と。

そして次のことを考える。次はもう少し上手くEnergyを注げる環境を

創っていかなくては・・・。

2018年もそろそろ上半期終盤へとさしかかろうとしている中、

やはり・・・私自身の時間は少なくて、そして相わからず日々予測のつかないこと

が起こり続けて・・・予定も計画も思う速度では進んでいない。

HPのリニューアルも大幅に遅れている。何だかな・・・と思いつつも

以前ほどは焦りもしなくなった。進んでいないわけではないのだからと。

それに、何はともあれ、モグラたたき状態で不調を繰り返す高齢者も

とりあえず寝込むことなく過ごしてくれていてここでも「ありがたい」と思っている。

そうは言っても、まずまず事なきを得ていると。

イントロダクションが長くなってしまいました。

とりあえずお久しぶりなのでご挨拶まで。

to be continued

 

頭の中や、心の中や・・・⑥

日常生活の中で仕事をしながら・・・静かに自分自身と向き合うと

いつでも心に言葉や文章は流れるように溢れてくるのに・・・

いざ、PCへ向かうと・・・「さて、どこから始めましょうか?」となる。

まだまだ言葉のプロと言う訳にはいかない私です(笑)。

ひとつ誤解の無いようにお話ししておきたいのは、ここ数年私が

感じてきた嫌悪感や違和感は、その言葉を発している人に対して

感じたものなどではないということ。言葉を発する人そのものや

個人には何の感情も持ち合わせていない。それはその人の価値観とか

美意識とか美学なので、私がとやかく言うことではないし、ま、

ある種の節度を守る自由な領域であれば私が立ち入る場所ではないのは

当然のこと。

私が、知りたかったのは「何故私はこんなにも世の中に溢れる言葉に

違和感を感じたり嫌悪感を感じるのか?それはいったい何がそうさせるのか?」

ということで私自身の感じ方の部分。

ったく、ややこしいというか、メンドクサイ人間ですね。私って・・・

けれども、そこのところとうしてもClearにしとかなくては、これから先

自分自身の言葉を持てないように思えて仕方なくて・・・

言葉というのは誰もが持つものだからこそ、今の世の中のように垣根無く

お祭り騒ぎのような自由さが蔓延してしまったけれど、

これを一つの表現方法ととらえると、こんなにお手軽なのは何だか

しっくりいかない。

例えば世の中には様々な分野のArtistや表現者がいて、その世界の

プロと言われる人は、やはり根底にしっかりと表現していく美学を

持ってるはず。私とて花に関しては、花の表現において

「絶対にしてはダメなこと」も心にあるし「必ずそこに注がなくては

ならないEnergy」も持ってるし「ここは譲れない」とか「ここは踏み込んでは

ダメ」とか・・・「これだけは託したい」とか・・・ま、色々と静かに心の根底に

横たわるような美学を持ち続けている。それはある意味長く続けてきた

からこそ、自然と生まれたものもあれば、ある時期相当な時間をかけて

悩み続け問い続けたものもあるわけで・・・

もしも、私が、例えそれがとても小さな限られた空間であったとしても

言葉と言う手段を使って何かを表現したり、伝えたりするのなら

ここできちんと「言葉に対する私なりの謎」を解いておきたい・・・と。

ふゥ~、何だか・・・シチメンドクサイ。

ただ・・・やっぱり本当のプロとか、存在感が凄いArtistは内側でそういう

シチメンドクサイことを超えてきた人ではないかな…と思う。

ヒトは誰もその人固有の物語を持っている。あるいは人は誰しも

その人にしかわからない見えない物語を持っている。

其の物語の深さと言うものが結局はその人の魅力となりオーラとなり

存在となるはず。しかしその物語はスジガキのことでもオハナシの範囲

でもない。生きる中で体験した事実や直面した現実の乗り越え方や

そこで感じ続け見つけてきたものだと・・・ある意味それはスジガキでも

無ければオハナシでもない部分。言わば、行間や、余白や、間・・・。

時折、なんだかわかんないけど余裕があって凄いな~と思う芸術家や

女優さんに会うことがあるけれど、そういう人って物語の深さと

物語の余白や行間にあるものがとても凄いんだと思う。

話がそれました。

私は何もそんなすごい人になろうとしているわけではないけれど

何かを表現するということにおいて前に進むということはそういうこと

を抜きにするわけにはいかないような気がしているし、そういう

メンドクサイ私自身をClearにして辿りついた場所には、本当の

自由さと軽やかな私が待っているのでは・・・と。

to be continued

頭の中や心の中や・・・⑤

ここ数年、「言葉」とは何か・・・あるいは「言葉を使って表現するとは

どういうことなのか」ということに、ず~っと向き合ってきました。

向き合ってきたのか、向き合わざるを得なかったのか・・・そこのところは

よくわかりませんが、とにかく心のどこかに引っかかって仕方なかったのです。

そのことについてゆっくりと綴りたいと思っていますが、例によって

とにかく何だかわけわからずに1日が過ぎていくばかりです。

年度末と御年寄りの病院付添が始まってしまい、加えて私もけして

若くはないので、やはり疲労感がかなり出ています。ワハハ・・・今まで

あまり「年齢」というものを感じたことはなかったんですけどね。と言うか

そういうことは自然の流れなので、「年齢」とか「体力の衰え」とかを

あえて口に出して言うことをあまり好まなかったのが事実です。

事実ありがたいことに同級生たちと比べて、割と元気でいたし・・・

老眼とかつい最近感じ始めてて、それでもまだただの疲れ目?

程度に思えることもあるし(笑)。体力が衰えてくれば、

それに合わせて自分の生活を柔軟に変化させていけばいいと

思っていました。ん?話しがそれましたね。そうそう、「言葉」

についての私の一連のあえて言うなら「成長」のようなものをゆっくりと

じっくりと丁寧に綴りたいと思っています。そういうことをここで丁寧に

綴ることで、私自身「次の段階」へと進めそうな気がするのです。

ですから、とても少ない・・・数名の方にすぎないけれど、

このPageを気にかけてくださる方が存在することにとても感謝しています。

ネットの向こうの話なので、その方たちが本当に丁寧に読んでくださるか

は、未知と言えば未知ですが、それでも私は存在してくださることに

ささやかな幸福を感じています。SNSなどで飛び交う賑やかな言葉の

やり取りよりも、とても大切であるかもしれません。

何だか・・・どんどん話がそれて行ってます(笑)

そうそう「言葉」というものについて向き合う内に、それは私の中で

「言葉」だけに留まらない大切なものとなっていきました。

それは私にとっても意外な展開で、「ほほ~こんなことまでClearに

なってきたわ」と言う軽い驚きを体験しています。

世の中ちょっとおかしいですね。いや、世の中と言うのはいつも

そういう風に少しおかしいものなのかもしれません。何せ様々な人が

存在している世界ですから・・・それに「おかしいね」と言うのもあくまでも

私自身の感覚とか感じ方なので、可笑しいのは実際には「私」なのかも

しれません(笑)

私にとって「言葉」というものはあるいは「生きる」ということは

『吾常に此処に於いて切なり』-われつねにここにおいてせつなり

ということから始まります。生きることは生活することは

『切実』であることです。

世の中に溢れかえる言葉の数々の中には、どうにもこうにも違和感、

嫌悪感を感じて仕方のないものがあります。何故なのか?と

ず~っと思っていました。どうしてこんなにも気分が悪くなるのか・・・

その言葉には「切なる」ことが抜けていると気づいたとき

私自身の闇が開けたような気持ちにもなりました。

何となく結論からグサッと書いてしまったけど・・・

時間ができたら丁寧に綴ってみたいです。

密かに、HPリニューアルに向けて動き始めています。

リニューアルOpenは、早くて4月末、遅ければ5月半ばとなる予定です。

to be continued

頭の中や心の中や・・・④

雨の月曜日。終日降っています。春の雨はなかなか素敵です。

少し気怠いような空気。それでいて雨音は規則正しく春の足音のリズムを

確実に刻んでいるかのように思えます。

もう少し寄り道します。

 

朝、目覚めると何が起こるかわからない…と言うのはまだ続いています。

先日はまた御年寄りにちょっとした病状が出てしまい慌てて病院へ。

愛猫と両親合わせて10個目の病院…と思いきや、実は12個目でしたとさ(笑)

大事にはいたらないまでも、新たな症状なので、またまた生活食事…色々と

気を付けなくてはなりません。

それはさておき・・・ま、ここ3年と半年ほどの生活の変化を色々語っても

仕方ないし、そういうことは基本、人に言うことではないので控えますが…

私自身「甘かった」と思うのは、高齢者との生活は常に変化していくということが

予測できなかったことです。もちろん生活と言うのは誰と暮らしていても

状況は変わり続けますが・・・大人ばかりなので、突然変化したリズムにも

そのうち慣れるだろうと思っていました。慣れてくると、私もそれなりに自分の

時間が創りだせる・・・と。ところがどっこい、私自身の時間は無くなっていくばかり。

細切れでもあった時間がミンチくらいしかなくなったり・・・

1日の計画が朝目覚めるとすべて変更になったり、

基本的に、きめ細やかに時間を使うことができません。とても

おおざっぱと言うか大まかに時は過ぎていきます。

それでも、ストレスを溜めずに何とか色々と生活の仕方を創りだそうと

しています。戦うべき相手は自分の心。いつでも穏やかに静かに

前を向いて進むのは、私のような未熟な人間には至難の技。

まさに修行中の日々(笑)。

活きた時間を創るためには、無駄な時間を無くす。しかしながら一見無駄な

時間に思えても、大切な無駄と思える時間もあります。

そうやって、自分の生活を見つめていると、本当に大切なものを

大切にしていかなくては…と思えて来ます。細かいことやどうでもいいことは

あっさりと距離を置いて、大切なこと大切な人・・・見極めなくては・・・と。

だから、SNSとの付き合い方も最近大きく変えました。

今は少しだけ遠い先を見つめながら、相変わらず日々時間と格闘して

前へ進むことを考えています。

当面、どうにかして創作時間をきっちりと生活の中にはめ込むことが

できるよう、柔軟性のある日々の過ごし方を構築しようとしています。

to be continued

 

頭の中や心の中や・・・③

ちょっと、寄り道。

なかなか思うように自分自身の時間がproduceできない。createできない。

1日の終わりに「あ、今日もまたできなかったな」と軽いタメイキをつく。

何ができなかったか?と言うと、私自身のこれから先の計画のために

少しづつ準備していることや整えていこうとしていること。あるいはこのPage。

作品制作にとりかかるための何がしか・・・

「あ、今日も、できなかった」「今日はできると思っていたのに、机の上に

道具を準備しただけでそのまま急用が入ってしまった」とか・・・

そんなことが多い。朝目覚めると何が起きるかわからない。

大したことでななくても、それにちゃんと対応しておかなくてならない。

ま、今は仕方ないか・・・と自分自身に言い聞かせる。そしてへこたれず

投げ出さず、今に対応しながら、未来とやらに対して粘ることをあきらめない・・・

と夜毎、軽い決心を自分自身にする。

時には無理を選択することもしばしばあるけれど・・・そうなると結局

次の日に何がしかの影響がじわじわと出てきて、その影響は思いのほか

後を引く…と言うことを実感する。先々のことを考えると、私自身の体調管理は

とても大切だ。さあ、私自身の時間が戻ってきた!と思った瞬間

倒れてしまう…なんてことの無いように(笑)

・・・こういうことはおそらく体験した人でなくてはわからないのだろう。

それにこういうことは本人の性分とか性格にもよる。投げ出すことが平気な人は

自分中心の日々をいとも簡単に選択するという話をよく聞く。

残念ながら・・・というか、お恥ずかしながら・・・愚弟夫婦はそのタイプであっさりと

両親の面倒を放棄した。それも自分達をまっとうな人間として正当化して。

ま、そんなことはどうでもいい。私自身はそのようなことができない。あるいは

するべきではないと思う。かと言ってしょいこんでるわけでもないし、心底

困り果ててるわけでもない。日々の生活の中で「ありがたい」と思えることは

たくさんある。昨年両親と愛猫を合わせて9つの病院に付き添ったけれど・・・

だからと言って今現在、二人と1匹は普通の生活をしている。頭もまだまだ冴えている。

母などは座って喋らせておけば「とても元気」だし、実際に母に出会った人は

「お母さん、お元気そうで」と必ず言う。また両親とも「とても80歳には見えない若い」と

言われることがほとんど。しかし・・・高齢者であり、たくさんの爆弾を

体に抱えていることは確かだ。食事管理、栄養管理・・・できることはしたいと思う。

二人が望むことで私にできることならとりあえずさせてもらいたいと思う。

またそういう想いが根底にあるからこそ、私自身も不思議と行きたいと

思うところには行くことができているし・・・やりたいと思うことが有れば

Tryもできている。もちろんある一定の範囲で・・・だけれども。

それに・・・やはり、何といっても「別れる時は必ず訪れる」ということつまり

いつかは命が尽きるということが何よりも大きい。

結局、それが何よりも大きな人生の一大事だと日々実感する。

だから、人生のすべてはまずそこから始まっていると・・・思う。

とは、言ってもですよ。・・・お恥ずかしいことながら感情とか精神状態とかは

一定ではないです。私も・・・。晴れやかな気分で過ごせない朝もあります。

 

と、ま、こんな日々を重ねています。そしてこんな日々を重ねていくことにも

何がしかの真実を発見しています。発見しつつ、少しずつ成長しています。

時に、それは小さいながら大きな発見であったりして、そういうことに

自分自身救われています。最近の大発見(笑)は、なんだかんだ言ったって

一番厄介なのは私自身の心だということ(笑)。

どんな状況でも淡々と自分自身を見つめ、淡々と前に進む。

ひたすら・・・前を見る。それは明るく前だけを見るということとは

少し違います。雑多なことにまみれつつも、自分自身の感情に戸惑いながらも

余計なものを一つ一つはずして、静かにある一定のリズムで前を見る・・・

少し前の事ですが、「夢」とか「未来」とかと言う言葉がやたら甘ったるく

耳に響いて、気分が悪くなることがありました。

それはまるでsugarcoatingされたオスマシ顔のsweetsのように私には

思えたことが・・・

これは何もその言葉を発する人を批判しているのではなく、そう感じてしまう

私がいた・・・ということ。

そんな甘ったるいSweetsを口に含んでみたって・・・日々を重ねて今を

重ねていくことが今の何よりの問題。二人の病状に合わせて食事のメニューを

考えることのほうが私にとっては大切。今目の前にあることはそれ。

けれども・・・メダリスト達の言葉は流石に胸に響きました。

彼らあるいは彼女達の口にする「夢」と言う文字はけしてsugarcoatingされた

sweetsなどではなくて、墨の濃淡で丁寧にあるいは思いっきり書き上げた

ような筆文字のようにじんわりと静かに胸に響きました。

そして「夢」と言う言葉の本当の深さと様々な側面を教えられた

気がします。

春の嵐・・・どうやら寒い寒い冬はイチオウ終わりを告げたようです。

御年寄り二人に風邪をひかせなかったことで一つ大きな仕事を

終えた気分です。

to be continued

頭の中や心の中や・・・②

『私達は言葉などの追い付くことができない世界に生きている』

少し前ではなくてすでに昨年の秋のこと、私はこんな言葉を綴ったのだけれど・・・

実は私、「私達は言葉などの追いつくことができない世界に生きている」・・・とそのような

ことがちらちらと頭の中を霞めたり、過ったりし始めたころ偶然にも

ある雑誌のPageで良く似た言葉に出会うという不思議な巡り合わせを体験している。

それは・・・

『人間は言葉の追いつけない世界に投げ出されているんだ』

と言う言葉。

その言葉はある女流俳人に対する10ページにも及ぶインタビュー記事で

彼女の半生を振り返りつつ彼女が「言葉とは何か」を突き詰めて見出してきた

ひとつの物語と言えなくもない内容。かなりの読み応えがあって、しかもとても深い。

深い内容というのは、やはりどこまでも深く広くて、その10ページに出会ったのは

かれこれ数年前の話なのに、それ以後読み返すたびに新たな発見があり

さらに見出すものの深さを感じてしまい、私はそのたびに薄皮をめくるかのように

様々な気づきをそこからPresentされている。

ソシテ救われる。なかなか素敵なPresentだ。

自分自身があまりにもこだわり過ぎて、他人から見ればただの文句言いの

めんどくさいおばさんに過ぎないのではないかしら?と思いつつも

やはり、ちょっとこれは色々ときちんと見極めたいという気持ちが強くて

「まーめんどくさいおばさん」でも仕方ないか・・・私の人生だしと苦笑いを

浮かべながら、言葉と言うものとここ数年向き合っていたので、その俳人の

私以上と言うより、私などは足元にも及ばない真剣な姿勢と突き詰め方を

目にすると少しほっとして、それよりも何よりも私なんて甘っちょろい

中途半端なおばさんだったんだわ・・・と

少し嬉しくもなったり・・・

また、その俳人の感覚や言葉の中に私自身と共通するものを少なからず

発見して「あながち、私の迷いも間違いではなかったんだ」と明るくなったり・・・

to be continued

頭の中や心の中や・・・①

確かに「物事を突き詰めて考えるタイプ」なのかもしれないけれど、

私自身は「用心深い」わけでも「石橋を叩きすぎて壊してしまうタイプ」と

いう訳ではないと思っている。ごく普通に今のこの複雑で雑多な世の中を

眺めていると、やはり心して関わっていくことが先々の事を考えると

大切だと思うだけだ。雑多で複雑な割にはそこにいる人々は何だかさっぱり

軽率で向こう見ず過ぎるような気がしてならない。

必要以上に「慎重」になるつもりではない。ただ自分自身をこれからどういう風に

selfproduceしていくのか・・・ということを考えると、やはり簡単に世の中の気分だけに

乗っかるわけも行かない。「自由」は無防備なことではないはずだ。

自分自身の軸をしっかりと持ったうえで獲得する「自由」。

私なりのきちんとした視点や世の中に対するお行儀所作柄を持ったうえでの

「自由」が本当の「自由」であり大切なことだと思う。

不快感や違和感を感じたら「何故不快なのか?」

ということを時によってはしっかりとつきつめたいと思う。もちろん全てにおいてではない。

対外はスルーできることだ。でも時に拭っても拭っても何故かそこに「不快感」「違和感」が

付きまとうことがある。そういう時は、その大元にあるモノが何なのかは

どうしても知っておきたくなる。アーややこしい(笑)

それでも、前に進むということはそういうことなのでは・・・そうしながらひとつひとつ

納得できる自分自身を見つけて本当の「自由」を知ることなのでは?と思う。

この数年間はそうやってどうしても感じてしまうある種の「違和感」「不快感」を

一つ一つ自分自身の中で解決してきた日々・・・だと思う。

ま、こんな感じ(^_-)-☆

to be continued

立春を迎えたとは言え・・・

1年で1番好きな日―立春。
その立春を迎えたというのに、「立春寒波」などと言う言葉が
TV画面をにぎわす。ネットDisplayを踊り歩く・・・。
相変わらず寒いですね。でもその寒さにも体がある程度慣れちゃいましたね。

1日24時間・・・なかなか思うように運ばせることも管理することもできずにいます。
怠けてるわけでも、下手な時間管理をしてるわけでもないのですが・・・
気が付くとお昼。気が付くと夕暮れ・・・あらこんな時間。
と言った感じで日々がひとつひとつ積み重なって行って・・・これじゃだめだよねと
思いつつも、軌道修正はなかなかできません。それでもあきらめず愚痴らず・・・
できなかったことよりもできたことを喜ぼう・・・例えそれが完璧には程遠いとしても
自分の納得できる形よりも幾分離れていたとしても・・・と思いつつ
少しずつ少しずつ歩みを前へ前へ・・・です。

何だか・・・お恥ずかしいけれど・・・このBlogをザックリ読み返してみたら
ここ数年、私同じことばかり言ってるみたいで・・・少々反省しました。

ここ数年、ず~っと『言葉』へのこだわりとそこからの答えばかりを
模索してますね(笑)。けれども・・・それはそれでかなり大切なことなのだと
思います。そろそろ答えもみつかりかけてます。
それが答えと呼べるとしたら、あるいは答えなのどないけれど、そこに
辿りつくことが大切なのかもしれません。
突き抜けた何かを身に付けるには、散々迷って散々考えて
立ち止まって・・・色んなものに翻弄されて・・・やがてそういうものを
あっさりと脱ぎ捨てる…と言う過程を通り抜けなくては
ならないのかも・・・と思います。
Clear・・・とかSimpleとか・・・らしさとか・・・は
そういうゴチャゴチャを潜り抜けた先に本当に手にできて理解できるものなのだと
最近思っています。

ではまた。

to be conotinuedのつもりが・・・

遅ればせながら・・・

2018年、明けましておめでとうございます。
今年も、細々とながらもそれなりに進んでいくつもりでおりますので
どうぞよろしくお願いいたします。
今年こそは、こちらのこのPageを何とか陽のあたる場所・・・今よりも
多少は陽射しを感じられる場所へと移していこうとは思っています。

さて・・・昨年の最後のPage「とりあえずMerry Christmas」の末尾に
「to be continued」と終えたように・・・確かにto be continued
の心つもりでいたはずですが、時が経ちすぎて・・・日常に紛れすぎて
今となっては、「その続き」はどこへやら・・・です。

仕方ない。仕切り直して少しずつ綴っていきます。

私にとって言葉を綴るということのは年々特別な作業となってきているようです。
年々…と言うより、「年を重ねるごとに」とか「時を重ねていくうちに」とか
そういう意味の方が近いかもしれません。
それは、何も「言葉を綴ることの意味が重くなっている」ということでは
ありません。やはり…それは、特別な作業として様々な角度から様々の衣を
纏い、様々な顔を持ち・・・やはり特別なことなのです。
堅苦しいことを言うつもりはないけれど・・・少しはココロして言葉に向き合いたいと
思うし、あるいはもっと大切にしたいと思うし、
はたまた、それを素敵な美しい領域のものとしてと扱いたい思います。

以前・・・脚本家を目指している年下の友人にこんなことを
言ってしまったことがあります。

「ねー、ちーちゃん、世の中にはさ、文章を書くのが好きだと言う人も
文章を書くことが上手だと思っている人も五万といるのよ」

と。
その言葉は、実はそのまま私が私自身に言い聞かせ続けている言葉です。

あるいは先日は花関係の友人達といわゆるSNSでの発信についてどうしたらよい?
ということで盛り上がったときには

「文章を書くのが好きだと言う人も文章を書くことが上手いと自分で思ってる人も
五万といると思うけど、今そういう人が発信し放題にしてるでしょ。じゃあさ、
花が好きだと言う人、花をアレンジするのが上手いと自分で思ってる人が
遣りたい放題に自分の作品を発信し放題にしたら・・・どうなる?
悪いけど、私、もし世の中がそうなったら・・・ちょっと頭痛くなるかも」

これは誰かを批判しているとかではなくて、だから私自身はどうするか?と
言う問いかけです。時代の気分や時代の空気や時代の感情にだけ翻弄されるのではなく
いつでもぶれない私でありたいし、その一方では時代の風を敏感に
察知できる人でもありたい・・・と常々思っていますが、
今は、よりぶれない私であり、私らしく生きる術を極めたいと思っています。

日常は色々ありすぎて、言葉にきっちり向き合えない状況がここ数年続いていますが
それでも、それは言い訳に過ぎないと自分に言い聞かせて、慌ただしい
時間が詰め込まれた日々の中で、せめて私自身の核となる部分では新鮮で
清々しい空気を創りだし、わずかな時間でも何かをしっかりとCreateできる
人でありたいと思っています。

2018年、良い年にしたいと思っています。

ごめんなさい、アイキャッチ画像は年に1度の決まりごと。あの時間の後の
セルフィー祭りです。年に1度クリスマスの時間の後だけはきちんと写真に
収めるようにしています。年々の自分自身の変化が見えてなかなか面白いです。
今年はかなりお疲れモード(笑)