Diaryのように…⑤

『Diaryのように』とタイトルを打ったのは、日記を綴るように、気取らず自然体で、今の私の気持ちなり想いなりを印しておこうと、それもそれなりに今ならOKなのでは…と思ったからだ。

1日の始まりでも終わりでも良いから、自分自身の心の今の有り様を見つめたり、あるいはその有り様と対話することが今の私にとって必要とも思えたからでもある。

ところが、時の流れとか心模様とかは現実の出来事に対応することで始終するばかり。この1ヶ月半と言うものは、なかなか私自身と対峙して、自分の心と対話することもゆっくりと眺めることも、時間的には少な過ぎる状況。

しかし、ま、これがある意味人生であり生きてると言うことなのだろうと思う。

色々とそれはそれなりに様々な感情に見舞われるけど、私自身は不思議と悲観もしてないし、辛いとかも思っていない。また、あきらめてもいないし、私自身の人生も構築するenergyも、密かに静かにこの体のどこかにチョロチョロと燃やし続けている。密かにね(笑)

それに、様々な体験や感情を味わえば味わうほどに、自分自身が豊かになっていくのも感じている。きっと業が深いのだろう。

そして結局は私ごときが抱えてる現実などとるに足らないこと。世界のどこかでは、今この瞬間にも私などが想像もつかないような現実にさらされてる人はたくさんいる。今この瞬間、世界のどこかで悲しみの涙を流す人、歓喜の涙を抱きしめる人…様々。

正直なところ脳梗塞の時よりも心不全の時よりも、こちらのenergyを消耗させた父の熱中症はやっと回復。心臓に不具合が見つかった母の手術を含む治療計画も決まった。

恥ずかしながら相変わらず愚弟夫婦はすべてにおいて知らん顔を決め込んでいるが、私は私の生き方を歩むだけだ。そして私自身の人生も密かに構築していく心を絶やさず育てるだけ。

もうすぐ倉敷。検査入院を終えた母を迎えに行く車中から。

久々にスマホ入力なので、改行も多分おかしいし、いつものごとく誤字脱字満載。乱文ゴメンね。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です