SAKURA STORY ①

「桜の季節に母を亡くしたので・・・それ以来、桜が好きではなくなったけれど

桜の季節に彼と結婚してから、また桜の花を好きになることができた」

といつだったか、友人の一人が走り書きのようなメモを残していたのを覚えている。

人の数だけ・・・花を巡る物語が紡がれていく。別れと出会いの合間を縫うように・・・

アスファルトとコンクリートと青い空とでできた都会のビル街の空間に儚い色の

薄いピンクの花弁が静かに風に舞う。桜色の散る涙・・・

無機質な世界に散る桜はどことなくはかなげで寂しいな…といつも思う。

私の桜物語は・・・

「桜の花、今年も観ようよ。ね、桜の花を見てほしい今年も・・・桜の次は藤、

その次は紫陽花・・・」

そう言い続けた2年前の冬の日の小高い山の上の病室の風景から始まる。

季節の花を愛でながら、命を繋いで行ってほしい・・・と思っていたので

冬の光が窓の向こうに広がる海をキラキラと波立たせている景色を見ながら

何度も「桜の花を見ようね。必ず、今年も・・・」と繰り返した。

あれは3月の病室のことだったか・・・

「明日、彼が先生に退院の話をしてくれることになっているの。どうなるかわからないけど

もう1度彼のところに戻りたいから、先生にお願いしてみる」と

癌を抱えながら期限付きの命を生きる友人Yがそっと私に切り出した。

「そう、許可が出るといいね」と私はさらりと流したけれど…

今、思うと私自身何もわかっていなかったのだと・・・今更ながら自分自身が情けなくなる。

病院の緩和ケア棟に運び込まれてから、不思議なことに病巣の進行も無し、転移も無し、

腹水も溜まらない・・・という状態が続いていたのは確かだけれど、

彼女自身「末期は末期よ」とクールに言い放つことはしばしばあった。

あの時、彼女は何を想って「退院」の方向へと目を向け始めたのだろうか・・・・

安定しているかのように見えた進行のStopした体にわずかな望みの糸口と

夢をかけたのだろうか・・・それとも・・・それとも…と思う。

安定しているという最後の状態に最後の生を全うすることにかけたのだろうか・・・。

実際に退院が決まったのは3月から2ヶ月を過ぎた5月の半ばだった。

「近くの病院の訪問看護と今の病院の通院を続けながら、彼のところで暮らすことに

した。多分何もしてあげられないと思うけど、彼と一緒にいたいから」と

退院を知らせるメールには綴られていたし、少なくともその文面からは

イキイキとした喜びのようなものが伝わってきて、私は単純に「ヨカッタ」と思ったのだ。

けれども・・・

結局、私は何もわかってはいなかったのだと都会の空間を舞う桜と春の冷たい

風を感じながら思う。

あれは・・・おそらく、彼女の覚悟・・・だったのだろう。最後の生を全うするために

彼女にとって1番大切なものを選ぶという。もちろん、命の期限がそんなに早くは

迫っていないという楽観的な想いもどこかにあったとは思うけど・・・。

それでも、24時間体に繋がっていた点滴が無くなり、医師や看護師もそばにいないと

なれば・・・命が静かに弱まっていくことはわかっていたのでは・・・と。

あるいは、医師や彼は彼女の命がどのあたりで途切れてしまうか…という予測を

理解して、退院生活を受け入れたのかもしれない。

「元気に生活しています。料理はできないと思っていたけれど、結局、朝昼夕と3食とも

自分で創っています。お料理をするのは精神的にはストレス解消になるけれど

肉体的にはかなり負担。でも好きだから・・・」と退院してから1か月後のメールで

知らせてきた。元気そうだから・・・そろそろみんなで集まろうか・・・と考え始めて

仲間内であれこれ計画を立てていたら、様態が急変して彼女は実家へと戻ることになる。

結局、彼女が何よりも大切にしていたPartner氏との生活は2ヶ月足らずで

終了となり、退院後3ヶ月で旅立つことになった。

彼女が不在となってから、私の桜物語は切なくて儚いものとなってしまった。

けれども・・・彼女が残してくれた物語には静かで力強いMessageが存在している。

それは、大切なものはそれほど多くは無いというMessageであり、緩和ケアの日々から

何度も私に送られてきたメールの中にあった「命の儚さと尊さ」と言う言葉の意味。

タワゴトソラゴト、タワゴトソラゴト・・・

雑多でお祭り騒ぎにまみれているような世の中を少し離れたところから

見つめながら、Simpleに歩いていきたいな…と思う。

彼女は残された最後の日を穏やかながらも、命がけで生きたのだろう・・・

「命がけ」・・・なかなか素敵な言葉だ。

占いも予言もいらない。必要なのは「命がけ」かも・・・ねと彼女の人生に思う最近。

わたしも、ちょっと命がけで生きてみます・・・とか(笑)

to be continued

さて・・・何から・・・⑤ 不思議なことと言うのは・・・

それはどんな本だったのか、どこで目にしたのか・・・記憶は定かではないけれど

「過去を思い出したり、未来を想定したりするところに『生きる』と言うエネルギーは無い」

という一文が心に残っている。前後の文章は記憶にはない。ただその言葉だけが

心の深いところに留まった。

「なるほどね・・・」と。確かにそうかもしれない。結局『生きる』と言うのは「今、ここ」にしか

存在しないことだろう・・・。けれども・・・振り返ってもいいし、想いを馳せたっていいじゃないと

思う。その時はエネルギーが無かったとしても・・・。「振り返る」ことや「思い出す」ことが

そんなに悪いことではないはず。何故なら「今、ここ」は過去の時間の積み重ねによって

創られた瞬間であったり関係であるはずだし、確かな「今、ここ」が確かな「未来」を創るはず

だから・・・。

 

春まだ浅い日・・・と言うよりも、まだまだ春というには寒さの残る日・・・それでも3月の声を

聴いているのに、ダウンコートは嫌だなと思い、お気に入りのBlackのトレンチコートで

久しぶりに彼らに会うためその地へと向かった。

そして私は不思議な感覚をStageを見つめながら味わうことになる。

20代と50代が交錯し合う空間・・・。それは素敵な対比効果を空間に醸しだし、

言葉にはならない空気が生まれていた…と思う。しかし・・・私にはもう一つの対比効果が

見えてきて、あるいは感じてしまって仕方なかったのだ。それは・・・

50代の隣に30代の彼らの姿がありありと存在したということ。

出会った頃のあの勇ましく屈強な若々しい30代の彼らの姿がぼんやりと

あるいははっきりと影のように存在していた。そのことがとても不思議でとても

価値あることのように思えて仕方なかった。勢いがあって恐いもの知らずのように

見えてたくさんの未来を抱えていたような30代の姿。・・・何て言うのか、それは私にとって

その姿を見ることができるということは、ある意味特権でもあり、ある意味私だけの

あるいは私達だけの素敵なイリュージョンのように思えて誇らしささえ・・・密やかに

感じたのだ。30代のあの姿がはっきりと見えるということ。あの姿がしっかりと記憶に

残っているということ。

20代と50代、そして50代の隣で影のように存在した30代の姿。

豊かな時間、豊かな映像・・・

「いま、ここ」の世界は「いまではない、ここではない」世界によって成り立っている。

・・・これは『言葉が鍛えられる場所』で感銘を受けた言葉。

確かにそうだと思う。

「見えるものがあるのは、見えないものがあるからであり、形のあるものが

確かであると思えるのは、形の無い不確かなものが存在しているからであり

輪郭のはっきりとした外側があるのは、輪郭を持たない内側があるからだ・・・」

深いな…と思う。

長く付き合ってきた特権でもあるかのように、あの日見えた見えない30代の姿。

それを見せてくれたのは紛れもなく続けてきた人達のエネルギーと想いと

紆余曲折、切磋琢磨・・・良くも悪くも様々な感情をもって

積み重ねてきた過去の時だと思う。そのような時間と空間に仕上げてくれた彼らの・・・。

私は心から感謝をこめてあのStageに「ありがとう」と「賞賛」を送りたいと思っている。

・・・ナンテナ(^_-)-☆

アイキャッチ画像は私の中の2つ目のアジアである本。

随分遠い日に読んだけど、とても深く心に刺さったアジアと日本でした。

さて・・・何から・・・④ 不思議なことあるいは引き続き・・・

結局のところ、個人の美学であり美意識であり生き方…だと思う。

「生き方の美学あるいは美意識」がつまるところすべてに否応なく表れる。

自由な発言発信表現は、そこが実は根底に露わになるから気を付けなくては…と

何となく納得したりして、ようやく私は「言葉」というものに折り目を正して

前へ進む気持ちになることができた。

自由に見える・・・ことは、とても怖いな・・・と思うことは今でも多々あるけれど

そこは結局、私なりの生きていくことの美意識を洗練させていくことでしか

乗り切れないなと思う。雑多で多種多様な言葉が氾濫し、様々な人がそれぞれ

正しいという思い込みの中で何かを発信していく世界に置いては・・・。

少しばかり長い時間を費やして、私なりの出口を探してきたけれど

トンネルの向こうの灯りが見え始める頃、私自身思った以上に身軽になり

予想よりもたくさんの余分なものをそぎ落とせてSimpleになれた感覚を掴んだ。

もちろん、まだまだ心と行動がしっくりと上手くかみ合わない色々な状況を

抱えているには抱えているし、相変わらずたゆたひ続けているのも事実。

けれども、それは当然のことだと思う。自分自身に絶対的に自信を持つことなんて

それは・・・少し怪しい状況。人は常に揺れながらそれでも何かを信じて

前に進む生き物だと思う。そして正解はない。答えを求めすぎないことも

ある意味生きていく極意・・・。本当に大切なものはそれほど多くは無い・・・はず。

.・・・なかなか本筋に戻れないですね(笑)

アイキャッチ画像は、私にとっての初めてのasia。

1ドル360円時代に父がインド?スリランカ?から買ってきてくれたお土産の布の

小さなBagと言うか袋。当時まだ学齢にも満たなかったけれどとても気に入って

ず~っと使い続けてきた。今ではさすがにボロボロになりかけて使えない。

いつか・・・額装できるものならば額に入れてインテリアとして使おうと思っている。

to be continued

 

 

再び・・・寄り道

・・・生きていると予想もつかないことに遭遇してしまって

「どうってことない」と自分に言い聞かせ続けても「どうってことない」では

片づけられずに、時間を静かにやり過ごすしか術がない・・・と言うことがある。

とにかく日数と時間が薬。薄皮をめくるようにしていつかは良い方向へと向かうだろうと

自分自身に言い聞かせて日常をこなしていく・・・という感覚。

そういうことはひと様に見せるべきものではない…と思っているけれど

ここ数年私を悩ませてきたそういうちょっとしたことが、少しずつ少しずつ

それこそ薄皮をめくるように良い方向へとある意味加速度的に進んでいる。

自分自身やれやれ・・・と思いつつ、このまま良い方向へと進もうと

静かに静かに言い聞かせるようになったのはここ数週間のこと。

タイミングがイイ感じで足並みそろえてくれたのかもしれない。

数年前から私自身のことがStopしてしまったのは、もちろん御年寄りとの

生活とか二人の入退院、闘病とか・・・で私自身の時間が極端に少なくなってしまった

せいもあるけれど・・・もう一つ大きな原因が・・・

このPageが進まないのも、自分自身が進もうとしている方向へ本腰いれて

進めないのも・・・そういうことが複雑に心の中で絡み合ってたからでもある。

完璧ではないけれど4月に入ってから少しずつ克服できるようになってきました。

気が向いたらそのことについても、ここで綴ることがあるかもしれないけれど

何しろ大したことでは無いし、何よりいい話と言う訳でもない。

極めて個人的なこと。・・・基本ここは個人的なことばかりだけど(笑)。

とりあえず、いい感じ…と言うより、静かに淡々と緩やかに、『今ここ』そして

『その先の未来』へ・・・

静かに進んでいきます。辿りつきたい場所へと・・・

さて・・・何から・・・③ 不思議なことあるいは引き続き・・・

「寒い。寒い・・・」と言っていても、季節は必ず巡り来てやがては

暖かくなる。桜は咲く。そして散る・・・今日は夏日。辛うじて日焼け止めは

準備万端だったけど、日傘も日よけ用の手袋も、ましてやサンバイザーはまだまだ

準備不足。…サンバイザー? そうこの夏の私の必需品となる予定。何故なら・・・

最近の私は猛烈な自転車族(爆)。

・・・とそんな話はどうでもいいですね(^_-)-☆

今さらだけど、言葉を綴るということはひどく不確かで無力で...そして難しいと思う。

難しい…と言うのは色んな意味を込めて・・・です。そして何て言うのかやはり

ソラオソロシイことだとも思う。…ソラオソロシイ・・・ある角度から見ると。

それはいつの頃から始まったのかよく覚えてないのだけれど、この数年間、私は

「文章を書く」とか「コトバを綴る」とか「言葉によって何かを表現する」とか

あるいは「コトバによって何かを伝える」と言うことにまつわる違和感とずーっと

心の中で戦ってきた。・・・「戦ってきた」と言うのは少し違うかしら?

それでも、そこにまとわりつく違和感を何とかスッキリさせたくて、私なりに何か一つの

答えと言うか文脈と言うか・・・すっきりした境地のようなものを探し当てたくて

世の中を見まわしたり、自分自身はどうしたら良いのか・・・と時代の気分とか空気とか

ムードとか・・・そういうものを敏感に感じ取ってきたつもりだ。

違和感・・・そう何だかな・・・目にするものや出会う人々の綴る言葉に強烈な

違和感と嫌悪感ばかりを感じてしまう時期があって・・・だからと言ってそのことを

批判したり疑問視したりする気持ちは全くなく、ただただ・・・だから私はどうしたらいい?

と言うところにいつもベクトルを向けてきた。

時代の気分、空気、ムード・・・そういうものを敏感に感じ取りそこに乗っかることも

大切だけれど、気分は所詮気分でしかない。いつかは変わっていく。空気もそうだ

結局は時が過ぎて行けばまた違う空気に入れ替わる。ムードなんてものはその時の

人の気持ちが創り上げてしまう仮初めのものに過ぎない。

風は・・・いつ何時、吹きはじめるかわからない。

風向きは変わり続けていく。

新しい風は一瞬にしてすべてを変えてしまう。

要は、気分でもなく空気でもなくムードでもない。そういうものに左右されることも

無理に乗っかる必要もないしっかりとした何かを心に留めておかなくては・・・と

思い続けてきた。例え風に枝葉を揺らせても、幹だけはしっかりと左右されないような

そんな感じ。それがあるとないとでは、表現されたものは例え短い言葉であっても

例えありふれた文章であっても・・・そこから香り立つ空気は全く違ってくるだろう・・・と。

誰もかれもが自由に発言を許されているかのように見える今、私はただただ時代の気分

だけでそこに乗っかって自由気ままに我が物顔で何かを発信し続けることに恐怖心さえも

感じるようになっていたのも事実。これはあくまでも、私が自らを「Artist」とか「Desinger」とか

称しているから。公けの場所あるいは空間に何かを発信する独りとして自らをきちんと

律しておかなくては・・・ちょっと、今の世の中コワイなぁ~と思ったからです。

ふふふ・・・何だか少しややこしくて理屈っぽい文章になってしまいました(笑)

ある時期など、言葉はなるべく使わないほうがいいなぁ~と思ったり、これからは

伝えないことの方が断然カッコイイと思ったり・・・

ま、色々と探し物をし続けてきました。その探し物の答えが何となくぼんやりと

輪郭を現し始めてきた頃に出会った1冊の本。正確には買うには買ったけど

しばらく怖くて読めなかった本がアイキャッチ画像の「言葉が鍛えられる場所」。

ページをめくって「言葉が隠蔽しようとするもの」という1文に触れた途端、何だか

恐くなってきて・・・半年ほど積読状態だったけど、探し物の答えを感覚的に

掴みかけた時、ようやくページをめくり続ける気持ちになって読み始めた。

そしてその書籍に救われる感覚を覚える私・・・

あ、私が言葉にできずに心の中で戦ってきたことと同じようなことを感じている

人がここにもいたのだ・・・と。

何故、様々な人の発信する言葉に嫌悪感のようなものを感じてきたかという

答えも筆者は親切にさりげなく伝えてくれている・・・

それでも、この本深いです。繰り返してじっくりと読んでみようと思う書籍。

…あれ?舞台の感想とかけ離れてる?・・・そういう訳ではないんだけれど(笑)

全ては私の中で繋がっています。

と言う訳でto be continued