完璧ではないもの・・・②

人生は・・・それは完璧ではないもの。

と私は答える。呟くように・・・微笑むように・・・そして確信をもって。

もしも完璧な人生というものが存在したら・・・それはもはや人生として完璧ではない。

言い換えれば、不完全で未熟で完璧ではない人生こそ、

ある意味それは人生として完璧なのだと言いたい・・・ん~頭がこんがらがりそう^m^

未熟であるからこそ、物語が生まれる。完璧ではないからこそ枝葉が知らぬ間に

伸びて行き、そこに想いの花が様々に咲く。花はやがて実となりまた新しい

種を落とし、芽吹き・・・そしてまた物語が紡ぎだされる。

人生は・・・完璧ではないもの。何故なら、人もまたどう転んでも完璧ではないからだ。

未熟と言う階段をいつまでも登り続ける・・・成熟と言う階段に足をかけつつも

どうにもこうにも・・・生きても生きても未熟であり続けるような気がする。

それでも枝葉は伸びる。花は咲く。実はなる。種が落ちる。芽吹く・・・

ひとつの人生にいくつものStoryが重なり合う。必要なのは・・・重なり合うStory.

それならばそのために必要なものは・・・?

私は、未熟でありつつも未熟であるからこそあるいは若いからこそ

強く胸に持つ何か一つの想いのようなものが必要ではないか…と思う。

その想いが主軸となって・・・枝葉が生まれてくる・・・ような・・・Image。

 

バラバラのピースが何となく一つにまとまりそうな気分の今日この頃。

ゆっくりと進んでいます。本当にゆっくりと・・・ご飯作りながら(笑)

そして、自分自身の文体を見つけるとは・・・こういうことなのねと腑に落ちた感覚も

得ました。私にとって自分自身の文体を見つけるとは「人生と言う人の時間が

けして完璧ではない」と言うことに気づくことだったようです。

というわけで、GWは精神のデトックスしながら次への足掛かりを見つける予定。

完璧ではないもの…①


『9月、真っ赤な曼珠沙華の花を見ようよ。

10月、金木犀の芳しい香りを思い切り味わおうよ。

粘ってください。会えること楽しみにしています』

私が最後に彼女に送信したメール。曼珠沙華の返事は桜・・・だった。

そしてお盆の最中に、彼女は逝ってしまう。

それは末期宣告を受けたにもかかわらず一切の治療を拒否した彼女が

いよいよダメと病院に運び込まれたあの夏の日からきっかり1年後のこと。

この1年の月日は見えざる存在から彼女に与えられたGiftの日々だったように思える。

それはある意味優しさに満ちたPresentでもあり、またある意味戒めでもある

Lessonの日々。『命の尊さと儚さ、人の心の優しさが身に染みた日々』と

彼女が繰り返し私に話してくれた遺言のような言葉がこの1年の慶びと苦しみを

物語っている。見えざる存在は、治療を拒否したからと言って早々簡単には

逝かせてくれなかったのだ。彼女なりの答えをきちんと捜し当てるまで暖かくも

厳しい日々を与えた・・・。

今までもそれなりの数の近しい人々を見送ってきた。ひとつひとつそれぞれ違った

別れの意味があり悲しみが存在したけれど・・・

彼女との別れ・・・というよりも、彼女の紡いできた物語の幕の下ろし方は・・・

何って言ったらいいのか・・・じわじわとじわじわとこの身に堪えてくるというか・・・。

何が悲しくて切ないかと言えば・・・26年前?27年前・・・出会った頃の私達は

まさかこんな別れが待っているなんて誰一人思わなかったことだ。

地方とは言え、それなりにそれぞれが華やかな場所をめざし、実際に人から見れば

華やかな存在であったあの若く未熟な私達は、こんなことになるなんて誰ひとりとして

想いもしなかった。会えばいつもはしゃいでいた。いつもPowerfulで恐いもの知らず。

お互いの夢を応援し合い、お互いの未来を真剣に考えていた。

「女の子ばかりなのに珍しいくらいバランスがよくていい距離感といい関係」

というのは私達のことを自慢に思っていた彼女の言葉。

27年経ても変わらなかった関係が大きな存在を失うことになるなんて・・・

誰も予測することは無かったのだ。

それは当たり前だけど・・・その当たり前のことがひどく切なくて悲しい。

いったい彼女の中にある何が彼女の人生と言う道すがらを決めてきたのだろうか・・・と

思う。

それでも、彼女の時間は物語は幕を下ろした。

『人生ってなんなんでしょうかね?』

と舞台の二人が会話する。

私は心の中で答える。

「それは完璧ではないもの。」と。

あるいは、それは答えになってないかもしれないけれど・・・

それでも私ははっきりとそう答えたい。

「人生は完璧ではないもの。もしも完璧な人生というものがあったとしたら

それはもはや完璧であるという意味において不完全。」

ん~ちょっと哲学的?

to be continued.

 

散る桜に・・・

都会のビル街。街路樹の桜の花が風に舞う。

その光景が何とも幻想的に見えた日。『桜吹雪・・・』と言うには・・・

遠慮がちに品よく舞う花びら。

今年も桜が散りゆく・・・

5か月ぶりの2時間15分の中で・・・私は舞台を見つめながら繰り返し自分に問いかけた。

あれで・・・良かったのか?と。もしかするとCool過ぎたのではないかしら・・・

あるいは、それは私の傲慢さではなかったのか・・・と。

昨年の今頃、彼女はまだこの世に存在していた。海の街の小高い丘の上にある

病室から桜を愛でながら・・・ちょうど「先生に退院をお願いしている。もう1度

彼と暮らしたいから」と言っていた頃だ。

不思議なことに・・・真夏に1度、死の淵に手をかけかかった彼女が病院の緩和ケア棟に

運び込まれてから転移も進行も無し。腹水もたまらないという状態が続いていた。

投薬のため顔はむくんでいたものの、体重も増えてふっくらとした体つきは

末期患者とは思えないほど元気そうだった。

それでも・・・「いつ命が終わるのか、命が終わるのかとそればかり考えていた

ことがあった」といい「今はそこまで思わないけど、末期は末期」と呟く横顔に

私は年明けから「とりあえず、今年も桜を見ようよ。桜を見たら次は紫陽花、

とにかく桜」と繰り返し言葉をかけたのだけど…

何だか、自分自身が良かれと思ってかけた言葉に何とも言えない傲慢さを

感じてしまい、舞台を見つめながらそのことばかりが頭を過って仕方のない時間。

冷静に淡々と彼女に寄り添っていこうと決めていたことさえも、今は独りよがりで

傲慢なように思えて仕方ない。

舞台では言葉を置いていけと言われて、無言でタップを踏み始める役者。

私もタップを踏みたい気分。踏めるものなら・・・

やはり・・・この舞台を彼女に見せたかったと思う。

でも、今回は泣きませんでした。素敵なシーンや好きなシーンが印象的に

散りばめられていて・・・そういうシーンが胸にくっきりと響いた時間。

そして彼女との時間に想いを馳せながらも色々と感じた時間♪

それでも…「とりあえず桜の花を見よう」と言い続けた私の言葉の裏にある

傲慢さにタメイキをつきつつ・・・これからは、傲慢さの無い言葉を静かに

拾い集めて生きていきたいと思った時間でもありました。

彼女から最後にもらったメール。

『桜の花も愛で、半世紀の時も刻んだ。今度はみんなに会うよ。

退院して1ヶ月あんなに元気だったのに。もっと早く会っておけばよかった。

笑顔Keepしとくね』

力を振り絞るようにしてゆっくりと打ったであろう文字の並びが切ない。

この時、彼女は何を想っていたのだろう・・・と時折メールの文字を辿る。

携帯の無機質なDisplayの文字が妙に暖かくて・・・いつも悲しい。

この舞台を見るたびに…不思議と私と彼女の関わり合いは意味を深め

色濃く彼女の存在を感じてしまう。不思議な2時間15分。

舞台の感想はもう少し続きます。

(^_-)-☆

おめでとうございます♪

素敵にその場所で輝かれますことを・・・祈っています。

ストレスフル・・・

やっと、名刺が完成♪

素敵なデザインにしていただいて感激♪

しかしながら・・・ここのところ少々・・・かなりStressfulな日々。

切り替え、切り替え、切り替え・・・と自分に言い聞かせながら

何とか、日々過ごしています。

 

楽しみにしてます♪

心象風景とか原風景とか・・・

上手には・・・上手には言えないのだけれど・・・

時折、ふとした瞬間・・・いや「ふとした・・・」と言うのは少し違うようにも思える。

何気ない?これも違う。・・・ある瞬間・・・ちょっと逃げました(笑)

ある意味、すべてがとてもリアルに浮き上がるように目に映り、耳に響き

私の目の前にあるものがすべてとてもくっきりとした特別の存在感を

魅せてくれるような時がある。・・・ふむ、やはり上手く言えないな。

特別の存在…と言うよりも、そのものの持つ真実の姿とかEnergyとか・・・

無言でその場に静かに存在しているだけなのに、くっきりと深みのある存在として

目に映る瞬間。それは人であることもあるし、花であることもあるし・・・

あるいは命を持たぬものであることもある。例えば香水瓶、例えばコーヒーカップ。

そのような瞬間にこちらが感じるものはただ一つのImageには収まらない。

ただ・・・そういう瞬間、私自身の感覚はとてもClearで研ぎ澄まされていて

研ぎ澄まされているけれど穏やかで・・・

もしかすると、私はそういう瞬間に感じるものを言葉にしたいのかも…と思うのですわ。

とこの頃、思っております。そうすると、「心象風景」とか「原風景」とかと言う言葉が

何度も頭の中を過るようになってきたので、慌ててそれぞれの意味を調べてみたけど・・・

二つの言葉ともそれなりに意味が広いし、私が感じるものとすぐにはつながらない。

繋がらないけど、おそらく、何となく、結局は繋がるようです。

ふ~4月ですね。今年も時の過ぎるのは速い。

相変わらず、細切れの時間の中で、Systematicな時間の使い方を模索しながら

日々過ごしています。